基本情報
・名前: 聖
・誕生日:3月
・出身地:沖縄
・職業: 飲食店経営
・趣味: ツーリング、映画、旅行など
・大事にしていること:人の時間を簡単に奪わない
はじめまして!聖と申します。
ここでは、私がこれまでどんな経歴で
なぜ飲食店を開業し、なぜWEBマーケティングを
学ぼうと思ったのかそのキッカケをお話していきます。
〈略歴〉
工業高校卒業後、産業機械製造メーカーへ就職。
就職後は、日本全国やアメリカ出張などで経験を積み
会社創業以来、最速でリーダーへ昇格。
だが、ある出来事から会社への不安、不満が募り
「このまま会社員では楽しめない」
「よし、独立しよう!」と退職。
22歳の浅はかな考えで思いついたのは
まさかの異業種である飲食店経営。
26歳になり、学歴も経営スキルもお金もなく
駅からも徒歩1時間ほどの田舎で開業。
2020年コロナ襲来も、最高売上達成。
これからは飲食店もWEBマーケティングやSNSでの
集客がさらに必要だと思い、日々挑戦中。
聖ってどんなやつ?
このブログで何を伝えたいの?
下記↓を読んでもらえば、人生をさらしてます!
幼少期~高校生時代
幼少期:はじめての学びは両親の離婚
私は、沖縄県の一般家庭に生まれました。
おふざけ好きな父と、真面目な母。そして兄
末っ子の私に優しい、どこにでもいる普通の家族でした。
平和そのものと思っていた、ある日
父の怒鳴り声、母の泣き声が響きわたりました。
なにもわからない幼い私は、ただただ泣いていたと思います。
そして、それが私の幼少期の唯一の微かな記憶です。
確かな記憶としてあるのは
「今日から、ここで3人で生活していこうね」
と小さなアパートで母に言われた、この一言。
毎日楽しんでいたはずの私に突然訪れた、両親の離婚。
理由は、父のDV、虐待。
定職につけていなかった父は、
自分の不甲斐なさ、自信のなさから
イライラし家庭内暴力になっていったそうです。
当時の幼い私には理解できない出来事でしたが
後に気づいたことは
自信と立場は積み上げるもの
小学生~中学生時代:祖父の死が人生の第一分岐点
母が一生懸命に働いてくれるものの
稼ぎは大きくなく暮らしていくのでいっぱいいっぱい。
「贅沢な発言はできない」
兄と私の暗黙の了解でした。
小学生の私は、お家にいることは少なく
外でばかり遊びまわる野生児そのもの。
仕事も家事もすべてやってくれていた
そんな優しい母を裏切るかのように
元気の有り余った私は
机に向かうことはもちろん苦手で成績も悪く
同級生や上級生と喧嘩ばかり。
そんな学校での生活態度が悪いせいで、
毎学年、母を学校に呼び出しをさせてしまうほど
本当に可愛げのないクソガキでした。
なにも変わらぬまま中学生になり、野球部に入部したが、
生意気さは変わらず、先輩との衝突もしばしば。
1年が過ぎようとするころ
こんな私を変える出来事が起こりました。
それは、大好きな祖父が突然、この世を去ったこと。
突然の知らせに、頭の中は真っ白。
その日の朝も電話したとき元気だったよ?
夜は一緒にご飯食べようって言ってたのになんで?
ただただ、辛かった。
幼いころから、どんな時でも私をかわいがってくれた、
親族全員から慕われるほど優しくて、頼りになる自慢の祖父。
大好きな祖父との別れは中学生の私には、受け止めたくない現実で
しばらくの間、引きこもりになってしまいました。
何日たっただろう。
葬儀の日から、前に進めてない私を見かねて、会いに来てくれた叔母が
「もう祖父はいない!これからは、あなたがお母さんを守るんだよ!」
「しっかりしなさい!」
その言葉を聞いた途端
ハッとしたと同時に涙をボロボロ流して
変わらなきゃ!前に進まなきゃ!
と強く決意したことをおぼえてます。
この出来事が私の、人生の第一分岐点だと思います。
まずは、成績からどうにかしなくてはと思い、
母に頼んで塾に通わせてもらいました。
塾に通い始めてからの学校のテストは
周りにカンニングを疑われるくらい
グングン点数が伸びていき
さらには生活態度も改めてボランティアにも
積極的に参加するようになりました。
祖父の死を受け止め、前を向いて努力することができたのは
強い言葉をくれた叔母とずっと信じてくれた母がいたからです。
そんな母にはじめて、安心を与えられたのは
志望校の公立高校合格でした。
このことから私は、自分に自信を持てるようになりました。
高校生:失恋が人生の第二分岐点
行きたかった高校で、バイトもはじめ、友達にも恵まれ、地域柄バイクも
OKだったので、免許を取得し夜な夜な遊びまわって楽しい毎日でした。
他校の生徒やバイト先の先輩、バイク繋がりでたくさんの方々と
めぐり合うのですが、実は人見知り(笑)
そんな人見知りの私の、はじめてのバイトはまさかの接客業。
客層は小学生~20代の方メインで、CDやDVD、ゲーム機やおもちゃ、
雑貨などを販売する大きなお店でした。
その地域に一つしかないお店だったので、普通の日でも人気店でしたが、
クリスマスの売上は、いつもの10倍もある超絶激務店でした。
しかしこのお店は、プレゼントを買いにくるお客様が多いため、笑顔で帰っていく
割合がとても多かったので、激務でも楽しかったのを覚えてます。
私が幼い頃からあるそんな大人気店ですが2018年頃に、地元へ帰省した際に、
そのバイト先を訪れると閉店し、ジムに変わってました。
少子化とともに規模が縮小し、ネットの普及についていけず閉店してしまったようです。
この出来事はwebへ興味をもつ、一つのキッカケとなりました。
バイトや友達と遊ぶことに明け暮れてたそんな私に
友達の紹介ではじめての彼女ができ
それはそれは、毎日が楽しくて、毎日が輝いて見えました。
学生ながらも付き合いは長くなり、あっという間に高校3年生を迎え、
就職へ向けて動く出さなきゃいけなくなってきたころ、
特別やりたいことのなかった私は、地元で工業系の仕事に就こうかな。
地元なら家族もいるし、彼女もいるし、友達もいるから地元一択!
だなんて、軽く考えてました。
時間は過ぎていき、さあ、就職先を決めるぞ!とした矢先に、
彼女との突然の別れ。
あぁ、本当に別れって急にやってくるんだな。
と一晩泣き明かし
落ち込んでいる暇なんてない!
逆にこれはチャンスかもしれない!
よし、これを機に大きく前に進もう!
(この時は、ポジティブになるしか無かった笑)
そこからの決断は早く、親元を離れ成長するぞ!と意気込み、
離れるつもりがなかった地元沖縄を離れる決心をし
夏休みも毎日学校へ行き、やれることをとことんやりぬき、
高校3年生の9月下旬、第一志望の会社の内定をいただきました。
新社会人:正社員なのに、手取り10万
18歳で地元を離れ、初めて入社した会社は産業機械製造の中小企業。
私がこの会社を選んだ理由は
ここ数年売上も伸びており、規模3倍の新工場計画や従業員募集で
さらに拡大予定のもあり、なによりの決め手は
「5年後に沖縄分社工場を立ち上げます」
これでした。
早く認められて出世し、立ち上げメンバーになるぞ!
そうすれば稼ぐこともできるし、立場もできる!と意気込み
ただがむしゃらに目の前の仕事をこなしていくと
その貪欲な姿勢が認められ、異例の速さだったらしいのですが
入社2か月で埼玉や静岡、愛知と出張に行かせてもらいました。
仕事で評価され始めた矢先にリーマンショックです。
突然起きた不況で、会社はパニック。
残業どころか平日の出勤もなくなり
ついには給料が10万を切ることもありました。
月日は流れなんとか乗り越えましたが、売上激減。
「正社員でも安定はないのか?」
と少し疑問をもつようになりましたが
そんな中でもやることは一つと思い会社に尽くし
アメリカ出張も行ったり、母校へ会社紹介と
たくさんの経験を積み創業以来一番の速さで、リーダーに昇格しました。
昇格するとともに、自信はつきましたが
ただやっぱりそれと全く比例しないことがありました。
それは、給料がほとんど増えない。
残業70~80時間しても、20万に届かないなんてと思い
失礼ながらも上司(40)の懐事情を聴いて絶望。
このままでは、結婚どころか一人暮らしも危うい。
でも、せっかく手にいれたスキルもあり、
沖縄分社工場の主任としての話もある。
と悩んでいるときに、
この会社の人間性に嫌悪感を抱く出来事が発生しました。
それは、絶対権力を持つ創業者である会長や経営陣の従業員への悪態。
人手不足だからと筋萎縮性側索硬化症の従業員を出張へ行かせたり
不慮の事故で亡くなった従業員の葬式への参列を
「有難迷惑」と言う始末。
こんな人間性のない会社で働く意味はない。
この先この会社でどんなに身を削って働いても、報われない。
そして、こんなに働いても給料は少ないし、体は壊すし
結婚しても幸せな未来が見えない。
雇われではなく、独立しよう。
そう誓った22歳の春でした。
22歳~26歳:なぜ飲食店?~独立の時
22歳になってすぐに、飲食店経営したい!
と思ったけど、貯金がなかったので
期間従業員として大手企業に入社し
そこから3年間勤め目標だった貯金もできました。
なぜそこまでして飲食店経営をしたかったのかというと
子ども頃
・母から「今ある時間を大切にしたいから、
一日一回は家族でテーブルを囲んで食事をしよう」
と、いつも美味しいご飯と暖かい時間
・母親の帰りが遅く、寂しがっていた私を笑顔に
してくれた兄が作った親子丼
・毎週土曜日は、「一緒にランチを食べに行こう」
と大好きな祖父と大好きな沖縄そば
思い返すと食を通じた心地よい想い出ばかり
笑顔になる。喜ばせる。出会いがある。想い出になる。
全て飲食店なら叶えられる!
そう思い、飲食の道に進みました。
そんな私も26歳になり
お金はあるけどスキルはない。
さてどうしよう。
・経験を積むために、学びたい飲食店に入り修行をするのか
・今出せる料理だけでとりあえず開業するか
この2択。
すぐに答えはでました。
「今出せる料理だけでとりあえず開業する」
今思えば、無茶苦茶な考えだと思いますが
あの時の考えとしては
・過去の失敗談から学べばいける
・とりあえず開業し、アップデートしていけばいい
・失敗してもまだ若いからやり直せる
・低資金ではじめ、低料金でやり、とりあえず認知
小さいころから変わっていない無謀さが
私をそう動かせました。
良く言えば、行動力です(笑)
そんなこんなで、2015年素人飲食店オープンとなりました。
26歳~34歳:飲食店経営者700人との出会い
「この場所はよくお店が変わっているから無理だよ」
「飲食店は立地だよ!やっぱり駅近とかね」
そんなことを毎日言われ、イライラMaxで心の中では
(うるせぇ!黙れ!絶対結果出してやる!)
(小さなお店で結果を出せないようじゃ、ダメなんだ!)
自分の分析は正しいのか?
経営センスはあるのか?
挑戦したくなりました。
オープンしてからは、ゲームを楽しむ感覚で
集客を学び、リピートしたくなるように
お客さんに喜んでもらいました。
売上が上がらず奥さんと衝突する日々
支払い日が迫る恐怖の日々
そんな嫌な思いもしてきたが数カ月たつ頃には
認知されリピーターが増え売上もあがり
最初の思惑通り利益が出てきたので
メニューや店内をアップデートしてきました。
なんだかんだ順風満帆と思うでしょ?
しかし、認知度が上がるとやってくるのは
お客さんだけではなく
なんかしらの営業マンです(笑)
・食べ〇グ
・インスタ運用会社
・HP制作業者
などなど
当初の私は、無知のくせに貪欲だったこともあり
契約契約契約!と利益を溶かしてました。
あくまでも運用や制作業者であり
売上があがる保証やノウハウがあるわけでもなく
もちろん結果は、悲惨なほど惨敗。
このことから何事も深掘りした知識は必要だし
広告費をかけた分対価が返ってくるわけではない
本質を見抜いた施策をやることが重要なんだ!と
学ぶために80万ほどのお高い勉強代となりました。
そんなある日、ひょんなことから
飲食店経営者700人が集まるネットワークに出会いました。
(今度はお金を無駄にしないために、ちゃんと調べ倒しました)
お店の経営していくうえでの
「繁盛店ノウハウ」「ビジネスマインド」について学ぶ機会を得ました。
700人もの経営者が、実践し結果がでた繁盛店ノウハウ。
人は何に価値を感じて、対価としてお金を支払うのか。
お金を増やそうとすると、目先は増えても1年後はわからない。
価値あるものを与え喜ぶお客さんを増やすと、結果豊かになる。
これを徹底して学び実践しました。
何度も嫌な思いをし、上手くいき、失敗し
その繰り返しでたくさんのことを学びました。
奪われる感覚になったり、できない自分に嫌気がさしたり、
与えることが本気で嫌になりお店を辞めたい時もありました。
ただ、そのプロセスの中で学んだことで
安定した経営ができる飲食店となり
素人でもビジネスの本質を学び、素直に実践し
お客様と従業員のことを考えやっていくことで
ビジネスの成功率があがるということを証明できました。
コロナショック~現在
時は流れ、2020年。
世界を巻き込む大事件コロナウイルス発生。
世界は混乱の渦となり、ロックダウンで経済ストップ。
日本も緊急事態宣言となり、経済に大ダメージとなりました。
特に飲食業界は感染拡大の原因とまで言われ
酷いバッシングでしたね。
あの時は店内営業ができないならと
テイクアウトをやってみたり
通販事業に手を出したり
生き残るのに本当に必死でした。
そんな時ふと、片親で育った自身の幼き日を思い出し
「自分たちも大変だけど、片親世帯はもっと大変なのでは?」
そう思うと居ても立っても居られず
よし!無料でお弁当を配布しよう!
新聞社に情報を拡散していただきました。
予定の半分の数でしたが、無事配布。
その後も、学校が休校となり
学生も親もストレスが溜まっていると聞いたので
今度は地域の方々と協力し、子育て世帯へ
カレー無料配布。
この活動を通して、
飲食店は悪くないんだよ
こんな楽しいことができる場所なんだ
そう思って欲しくての行動でもありました。
この活動で気づいたことは、
片親世帯へ発信するときは新聞社。
拡散はできたが情報が遅い。
若い世帯には届きにくい。
カレー配布はInstagram、公式LINE。
10家庭だった弁当に対して、
40家庭150食の拡散力。
webの発信力を目の当たりにした瞬間でした。
同業の方からも
「なんでそんなに多くの人に認知できたの?」
「テイクアウトはどうやって広めたの?」
「なんでコロナ禍でお客さんくるの?」
質問の数々。
これらの経験を通じて、
WEBマーケティングの正しい知識を身に付けることで
たくさんの人に確かな情報を届け助けることができる!
その想いからこのブログを始める事にしました。
そして私がこれから目指していく未来は
もっと深くWEBマーケティングを学ぶことで
お店への集客はもちろんのこと
通販への集客、テイクアウトへの集客をし
店舗に頼らない売上を作り運営を楽にする
これをゴールにしています。
そのために私は
WEBマーケティングスクールへ入り
1年間みっちりと
WEBマーケティングを学んでいます。
そしてその中での学びを
ここに書いていきます。
なぜこのようなことをするのかというと
私と同じ悩みや経験をもつ飲食店経営者を
サポートしたいという想いがあるからです。
好きで始めたのに
売上が上がらない辛さ、
迫る返済日の恐怖に耐える日々。
その当時、私にWEBマーケティングのスキルが
あれば、そのような辛い毎日を送る必要は
無かっただろうなと思っています。
これから私が学んだことをこのブログに書き
読んでくれているあなたの助けになれば
とても嬉しいです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。